麻雀プレイヤーは科学者?芸術家?

ある本を読んでいて、面白いフレーズに出会った。

 

ある職業では、データ収集や分析を嫌う傾向にあった。その人たちは、自分をみんながほとんど同じことをしている大きな体系の一部ではなく、自分が体系の支配者であると捕らえたがった。

 

こういう人間は、科学者ではなく芸術家気質だという。

科学者はデータ収集・分析を絶え間なく行って、普遍的な法則を見つけ、それに従って動くのが仕事である。麻雀は運の要素が強いように見えて、実はすべて確率と期待値で表現でき得るゲームである。それゆえ、鳴きの判断だったり、リーチ判断だったり、オリの選択だったり、ほとんどすべてに正しい解答が用意されているといっても過言ではないであろう。人間の脳の容量には限界があるので、残念ながらすべてで正解の選択肢を導き出すのは不可能であるが、データを駆使できる麻雀プレイヤーは回数を重ねれば重なるほど、周りとの差が歴然になるはずである。

一方で、芸術家気質の人はデータというものを嫌う傾向にあり、「みんなと違うことをする」「周りがどう言おうとかまわない」タイプが多い。このタイプの麻雀プレイヤーは自分の感覚に従って打って、高打点の派手なアガリが多く、エンターテイメントに富んでいる。まさに芸術家といったところ。

 

 

・・・しかし、上のフレーズには続きがある。

 

データ収集・分析を怠ったがために、気づかないうちに小さなミスが重なり、最終的に悲劇を生むことになった。

 

麻雀というものは、別に自己表現が必要なものでもない。ビッグデータ関連の技術が発達したこの時代においては、麻雀は科学者であるべきであると思う。今はまだ流れとか感触だとかを大事にする麻雀プレイヤーが強いように感じられるが、これから若い人たちが打ち負かしていってほしい。